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2009年08月30日

農村歌舞伎舞台

「僕の名前は、ミョウジョウテルオといい、誰もが、るいりかがやいているという字を連想するのですが、じつは○○○○」

高校時代、日本史の先生の初めての授業はこんな話から始まった。

1964年に市教委が発刊した『神戸市における農村歌舞伎舞台』をすでに読んでいた僕は、目の前にいる先生があの有名な農村歌舞伎舞台のおっさんか……とびっくりしたものだ。先生は、私立高校にいたのに、僕が入学する8年ほど前に僕の高校に奉職していたのだ。いい仕事が認められたのだろう。

丸1年間、日本史を教えていただいたはずだが、生涯を通して研究されていた農村歌舞伎舞台のことについて、先生は一度も口にされなかった。その先生も急逝されて早14年が過ぎた。

神戸は、かつて農村歌舞伎舞台の宝庫であった。

それは、農村部に点在する歌舞伎舞台である。江戸幕府によって贅沢・遊興を固く禁じられていた農民たちが、神に奉納という建前をつくって、当時流行っていた歌舞伎を自主上演するために建造した施設だ。江戸時代末期になるほど精巧な造りになるが、明治維新後、新しい娯楽が普及し、急激に衰退していったという。

偶然、神戸は研究者がいたので、50年近く前にくまなく探査され、多くの研究記録が残っているだけのこと。学術的に調査されたことで文化財としての価値が認められ、一部が保存・修復されたのだ。

すでに村人から見捨てられていた舞台の多くは、調査前後に風雪による倒壊や不要物としての解体も多々。江戸時代は、村ごとに舞台を所有していたものと思われる。

古老が忘れ去り、郷土史家に発見されなかったという理由だけで、不運にも、解体されたり朽ち果てていったりした舞台は全国に多々あったはずだ。

中学生のときに、故郷である押部谷の木津と栄の農村歌舞伎舞台は、すでに見学し終えていた。木津の舞台は台風によって倒壊後のバラック建てで、往事の面影は皆無。栄の舞台は、トタン葺きの倉庫となりはてていて、いずれも文化財としての価値は見出せなかった。現在、栄の舞台は記録から抹消されてしまっている。

大学時代に訪ねた藍那の舞台は古風なたたずまいをかろうじて残していて雰囲気がいいなと思った。下谷上や上谷上の舞台もしかりだ。残念ながら、日本最古の農村歌舞伎舞台とされる淡河のそれは訪れたことがない。

一昨年、仕事のついでに立ち寄った六条八幡神社の能舞台でひなたぼっこしている母子を眺めてきた。もちろん、彼らは神社に建っている吹き抜けのそれが何であるかを知るよしもない。ついでに下谷上の舞台も訪れた。国指定の文化財だが、舞台の横にま新しい民家が建っていて、時代の流れを感じた。

今年、またもや仕事のついでに木津の顕宗仁賢神社を参拝してきたが、立派な歌舞伎舞台が再建されていた。

奇しくも、来年は下谷上か上谷上の舞台で上演される農村歌舞伎を見に行くことになりそうだ。

こんなところへ足を運ぶのも、職場が変わったせいなのだが、ミョウジョウテルオ先生との深い因縁を感じている今日この頃だ。



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