平家物語・敦盛のこと……(2005/10/28 )
敦盛と言えば平敦盛。神戸で死んでいる。
須磨の海釣り公園(またかよ)の北には、敦盛塚があり、それなりに訪ねてくる人がいるようだ。
800年少々前の、ここは須磨の一ノ谷……。すでに平家の負けは決定的。
海上に逃げおおせていたのに、「まさなうも敵(かたき)にうしろをみせさせ給ふものかな」(敵に後ろを見せるとは卑怯でございますよ)と熊谷直実に声をかけられ、引き返して、一瞬にして組み伏せられ、首を取られそうになる。
「名を名乗れば見逃そう」「潔い大将軍だから見逃そう」「幼いから見逃そう」と思いつつも、それも難しいことに気づき、熊谷は涙を飲んで敦盛を切る。
論理的に考えれば「逃げるが勝ち」に決まっているのに、自ら「死に場所を作る」あたりが、軍記物語らしい展開のおもしろさだ。
『平家物語』の記述は、おそらく史実ではあるまいが、若武者の敦盛が一ノ谷で死んだことがきっかけで、こんな悲話が生まれたのかもしれない。
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