木見・宝篋印塔、今昔

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2014年08月18日 20:00

「神戸百景」に刺激を受けたせいか、雨が小降りになった8/17の仕事帰り、押部谷へバイクを走らせた。

目的は木見の宝篋印塔。バイパスができてからはその横を通ることがなくなり、一度車の中から探してみたが、行方知れずになっていたもの。

40年前の写真があるので、例示したい。



現存する他の例から考えると、鎌倉~室町時代の塔。隅飾りに少しの欠けがあるだけで、小ぶりで楚々とした美しさをたたえていた。

その頃は、道沿いの阿弥陀堂(左)と毘沙門堂(右)の左横の田圃の隅に、石仏と共に安置されていた。



さてさて、記憶のとおりならお堂があるべき所はとバイクを走らせると、公民館ができていた。道路脇に駐車して、敷地を確認。



ありますた。左の奥の隅に、ありますた。



ただし、塔身が最上部というとんでもないことになっているし、肝心の梵字も上下がおかしな状態で、仏様が逆立ちなさっている。



震災の揺れで崩壊したとき、元の姿を誰も記憶・記録していなかったのだろう。寄せ集めたときには、無残な姿。相輪は折れて裏側に……orz。



知り合いがいるなら、元の姿、正しい姿を知らせてやりたいのだが、偶然この村に僕の同級生は一人もいない。40年前からすでに過疎の村だった。

記録写真を撮って、出発のとき、敷地の右側に転がされている一対の石碑を見つけた。「みづはし」と書かれていたから、近くの明石川(木見川)に架かっていた見津橋の残骸だろう。

700年を経て、勘違いされながらも大切にされている宝篋印塔と比べると、橋の石碑は100年以内にごみ扱いされているのが、少し気の毒。

宗教の力はさすがだなと思った。


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